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「それっぽい服」はAIで作れる。服飾学生へ。センスは“遠回りした1万時間”から生まれる

AIがデザインを提案し、
トレンドを分析し、
画像まで生成する時代になりました。

「作る」だけなら、昔よりずっと簡単です。

でも、その一方で、こんな違和感もあります。

“それっぽい”ものは増えた。
けれど、“忘れられない”ものが減っている。

みんなが本当に作りたいものは、
それっぽいもの”なのでしょうか。

「1万時間の法則」は、古い考えなのか

1万時間の法則」という言葉があります。

ある分野で一流になるには、約1万時間の積み重ねが必要だ、という考え方です。

もちろん、ただ時間をかければ成功する、という単純な話ではありません。

でも少なくとも、

“深く積み重ねた人にしか見えない景色”

があるのは事実だと思います。

特に服飾は、

見た量。
触れた量。
失敗した量。

そのすべてが、感性の厚みになりやすい世界です。


センスとは、生まれつきなのか

服飾の世界は不思議です。

知識だけでは、服は作れない。
技術だけでも、人の感情は動かせない。

最後に必要になるのは、たぶん「感覚」です。

この丈感。
この余白。
この違和感。

「なぜか気になる」

を作れる人がいる。

それを、私たちは“センス”と呼びます。

でも、そのセンスとは、生まれつきなのでしょうか。

私はむしろ、

センスとは
「知識と経験の総和」×「編集力」

なのだと思っています。

掛け算なので、どちらかがゼロなら、答えもゼロになる。


見る量が増えるほど、「違和感」が見えてくる

毎日服を見る。
街を見る。
素材を触る。
古着を見る。
映画を見る。
失敗する。

その繰り返しの中で、少しずつ感覚の解像度が上がっていく。

最初は、全部同じに見える。

でも、見続けた人だけが、

「なぜ、このシルエットは古く見えないのか」

に気づき始める。

さらに積み重ねると、

今の時代に足りない違和感

まで見えるようになる。

感性とは、突然空から降ってくる才能ではない。

観察し続けた人間の中に、
ミルフィーユのように薄く積み重なっていくものかもしれない。


タイパの時代は、“近道”を求め続ける

今の時代は、とにかく“早い”。

検索すれば答えが出る。
AIに聞けば、それっぽいものも作れる。

だからこそ、多くの人が「最短距離」を求めます。

タイパ。
効率化。
最速で成果を出す方法。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。

実際、AIによって「1万時間」のうち2割くらいは短縮できると思います。

昔なら何日もかけていたリサーチも、今は数分で整理できる。
アイデア出しも、ラフ制作も速くなった。

でも。

近道ばかりを繰り返した先に、“その人らしさ”は残るのでしょうか。

AIは「正解」を出せる。でも、「執着」は作れない

AIが出してくれるのは、多くの場合、「一般的な正解」です。

平均点の高い答え。
でもそれは、“誰かの延長線”でもあります。

本当に新しいものは、もっと曖昧で、もっと非効率な場所から生まれる。

「なんか変だな」

その小さな違和感に執着できる人。
そこを掘り続けられる人。

新しい表現は、そういう人からしか生まれません。

つまりクリエイティブとは、

“最短距離の競争”ではなく、
どれだけ深く潜ったか”の競争なのかもしれません。

高学歴な人が強いのは、「積み重ねる訓練」をしているから

高学歴な人が社会で成果を出しやすい理由も、少し似ています。

頭の良さだけではない。

勉強という、長く孤独な積み重ねを経験している。

できなくても続ける。
反復する。
改善する。

その訓練を、何千時間もやってきている。

だから強い。

ある意味、すでに“1万時間の達成者”なのかもしれません。

「新しいもの」は、遠回りの中から生まれる

服飾も同じです。

「新しいものを作りたい」

そう思うなら、たぶん必要なのは、近道ではありません。

見ること。
作ること。
失敗すること。
悩み続けること。

遠回りに見える時間です。

でも実は、その遠回りこそが、あとから見ると一番の近道だったりする。

不思議なくらいに。

AI時代に価値を持つのは、「深く見られる人」

AI時代になるほど、“普通に上手い”だけでは埋もれていきます。

だからこれから価値を持つのは、

AIを使える人ではなく、
AIでは辿り着けない視点を持つ人。

そして、その視点は、一晩では生まれない。

何千回も見て、
何百回も迷って、
何度も「なぜ?」を繰り返した人の中から、ようやく生まれる。

センスとは、閃きではない。

執着の跡だ。

そう思います。

最後に差を作るのは、「習慣」なのかもしれない

結局、1万時間とは、特別な才能の話ではないのかもしれません。

毎日見る。
毎日考える。
毎日少し触れる。

その小さな繰り返し。

才能の差より、
一気に頑張る量より、
実は「続け方」の差の方が大きい。

服を見る習慣。
考える習慣。
違和感を放置しない習慣。

それらが積み重なった先に、“その人だけの感覚”が生まれていく。

センスとは、特別な人にだけ与えられるものではない。

毎日の習慣が、少しずつ育てていくものなのだと思います。

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